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稲泉連著『僕らが働く理由、働かない理由、働けない理由』を読む

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僕らが働く理由

この本は、著者である稲泉さんが友人や先輩たちにインタビューして、どうして今働いているのか、あるいは働いていないのか、働けないでいるのかを丁寧に聞き取って編集したものです。

稲泉さんの問題意識は明解で、ズバリ次のような文章にはっきり表明されています。

<いま、社会に溶けこめない若者たちや、あえて溶けこまない若者たちが確実に増加している。そうした若者たちは、フリーターや不登校、引きこもりなどと呼ばれ、「問題」とされている。ときにはその現象を「異常」だと言う者もいる。彼らは問題視されながら、社会の異物として不可解な視線を送られている。>

登場人物は7~8人にのぼり、それぞれに個性があって面白かったですが、中でも第1章にあるMの記録が最も興味深かった。タイトルは「納得のいく説教をされたいんだ・・・無気力な大学生の曖昧な未来」。Mはこの本の中では、いわば「働かない理由」を語るトップバッターのようです。著者はMが働かない理由を、かなり突っこんで聞き出しています。

<彼は就職活動をしない理由を「面倒くさいから」と説明し、これからのことについて「浮浪者にでもなっちゃうかもしれないなあ」と言って笑った。>

高校時代のMは、不登校とひきこもりすれすれの生活で、毎日が無気力だった。

<平日にもかかわらず、自分が学校に行かずに一日中寝ていたことを思い返した。高校3年生になってからというもの、学校をサボることに対してはなんの後ろめたさも感じなくなっていたはずなのに、なぜか漠然とした後悔が湧いた。>

実はMは鉄道マニアであり旅行マニアでもあった。列車を乗り継ぎ旅に出ていると、彼はとても生き生きとして、本来の自分を取り戻せる気がしていた。

<しかし、九州でも北海道でも、そして外国であっても、足取り軽くその土地を歩く気ままな旅から東京に帰ってくると、彼はすぐに無気力な大学生に戻ってしまう。>

著者がMに就職しない理由をしつこく尋ねると、

<彼は「面倒くさいから」と何度も繰り返した。就職すること云々よりも、就職活動そのものが面倒だったのだという。>

ある時、著者は新宿の喫茶店で、Mから意表をつかれる次のような話を聞いた。

<「実はね、僕はね、説教をされたいんだ。(中略)真面目にしなくちゃいけない、ってことをわかりやすく、論理的に、説得してもらいたい。納得させてほしい。待っているんだよね、そういう人を。わかりやすく話をしてもらって、自分が考えて、うん、って言えるような説教をされたいんだ」(中略)

働くって、本来は生きる情熱によるものだと思うんだ。でも、実際は単に生きるためだけに働いているな、僕は。どうせなら情熱のために働きたいと。>

さて、Mのこうした告白を読者である私たちはどう受け止めればよいのでしょう。とりわけ、「真面目にしなくちゃいけない理由を説教してもらいたい」というくだりは、多くの大人たちを反発させ、抵抗感を持たせることでしょう。

しかし、著者である稲泉さんは、そうした大人たちの反発を承知の上で、更に言えば、当然出てくるであろう反発をあえて前提条件としてMにインタビューし、他の若者たちにも対峙しているように思われます。Mに象徴されるような若者たちの、こうした労働に対する無気力感は一体どこから来ているのでしょう。

一番単純な考え方は、Mの個人的、生来的な気質に還元する方法でしょう。何でも「面倒くさい」という表現はこの気質の大きな根拠に成りうることでしょう。

二つめの考え方は、「最近の若者にはこういう連中が多いんだよね」という、いわば世代論的な発想でしょうか。しかしこの発想では、真面目にコツコツと働き、立派な家庭を築いている青年たちの実像は後景に退いてしまうでしょう。

三つめの考え方は、先進資本主義国である日本やその中心地である東京という都市での人間の(あるいはとりわけ若者の)生き苦しさや緊張感をその理由の一つにあげる論法もあるかもしれません。稲泉さんは、多分この一群に属するのでしょう。稲泉さんはMの章の最後の方でこう書いています。

<彼(M)は無人のホームを跳ね回るように歩いていた。そのとき、東京に住むことがいかに緊張を強いられるかを実感させられたような気がした。そして、僕がその緊張を普段自覚していないのに対して、彼は日々それを感じ続けているのかもしれないな、と思った。>

 

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