栗原類という青年を初めて見たのは、「キンチョー蚊取線香」のテレビコマーシャルだった気がします。蚊取線香のスプレーのノズルを激しく押して、死んでいく蚊を平然と見送る、というようなシチュエーションだったかと思います。あれからもう5~6年経っているでしょうか。この本の表紙の類の写真を見て、思わず「あの時の表情と同じだ」という感慨を持ちました。
類はこの本の中で、いきなり自分をADD(注意欠陥障害)であると告白しています。全体としては、ADDである彼がいかにしてその障がいと闘い、モデルや俳優として自立していったか...
では、こうしたひきこもりから脱け出させるには、いったいどうしたらいいのでしょうか?
(ちなみに、本書とその兄弟書籍ともいうべき『ひきこもりはなぜ「治る」のか?』も参照させて頂いています。)
斎藤先生の主張は一貫しています。学校を不登校になり、ひきこもってしまった子どもに対しては、
<「再登校か非か」が問題ではないということです。再登校させるべきかどうかは問題ではない。それでは何が問題か。「どうすれば、子どもが元気になるか」こそが問題なのです。つまり、治療や支援の目標は「元気」なのです。>
<「不登校...
斎藤先生は、「社会的ひきこもり」を特定の精神的病気が引き起こす結果であるとみなす一部の見解を完全に否定しています。
<社会的ひきこもりに伴うさまざまな症状は、しばしば二次的なものです。つまり、まず「ひきこもり状態」があって、この状態に続発する形で、さまざまな症状が起こってくるということです。>
「社会的ひきこもり」は、思春期に独特の葛藤のパターンを何年も抱き続けている結果として起こることが多い、と斎藤先生は言い、以下のような理由をあげています。
<不登校、家庭内暴力、強迫症状、対人恐怖症状などの、思春...
斎藤環(たまき)先生は、いわゆる「ひきこもり」研究の第一人者です。全国で講演されていますのでご存じの方も多いかもしれません。
たくさんある著書の中でも、この本はいわば概論的なものですので、その概略から見てみましょう。
まずは「社会的ひきこもり」の定義から。
<二十代後半までに問題化し、六ヶ月以上、自宅にひきこもって社会参加をしない状態が持続しており、ほかの精神障がいがその第一の原因とは考えにくいもの>
<「社会的ひきこもり」は、心に原因があって起こる問題です。つまり脳そのものに実質的な原因のある障が...